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アルファロメオ

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GT

GTV

SPIDER

105/115系

アルフェッタ
ジュリエッタ
33

スッド

ブレラ

SZ
アルファロメオ ミト
MITO
アルファロメオ ジュリエッタ
ジュリエッタ(940)
     

◆アルファロメオとは?
アルファロメオ (Alfa Romeo) は、イタリアの自動車製造会社である。ミラノ市の白地に赤い十字架と、ヴィスコンティ家の家紋であるサラセン人を呑み込む竜を組み合わせた楯を表現したフロントグリルを持つ独特の顔立ちで知られ、フィアットの傘下となって久しい今日でも、その外観の独自性は失われていない。現在はフィアット傘下において、ブランドイメージのスポーツ性を前面に出した車の開発、生産を担っている。
アルファロメオ159
アルファロメオ159
アルファロメオ6C(1930年)
アルファロメオ6C(1930年)
◆歴史
1910年、フランス・ダラック社のイタリア工場、「ダラック・イタリアーナ」をミラノの企業家集団が買収して創立したA.L.F.A(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili)即ち「ロンバルダ自動車製造株式会社」(ロンバルダとは「ロンバルディアの」の意)を発祥とする。
今に続くミラノ市章の赤十字と、かつてミラノを支配したヴィスコンティ家の家紋を組み合わせたアルファロメオのエンブレムには、当初「ALFA MILANO」の文字が刻まれていた。記念すべき最初の生産車は高性能な「24HP」で、A.L.F.A はこれを武器に創業1年にして早くもレースを走り始め、その後も「30HP」「40-60HP」の活躍によってスポーツカーメーカーとしての地歩を固めていった。
1918年にナポリ出身の実業家ニコラ・ロメオ (Nicola Romeo) が同社を買収し、ここにアルファロメオのブランドが誕生するが、正式な会社名は
「ニコラ・ロメオ技師株式会社」とされた。このニコラ・ロメオがレース好きだったことが幸いし、ジュゼッペ・メロージをはじめとするアルファロメオの技術スタッフは更なる高性能スポーツカー開発に没頭。初期の傑作「RL」シリーズがデビューする。「RL」はあらゆるレースで大活躍し、アルファロメオの名声を一気に高めた。これに勢いを得た同社は念願のグランプリレースに挑戦するため、当時の最強チームのひとつ、フィアット・グランプリ・チームの技術者だったヴィットリオ・ヤーノをフィアット内部のゴタゴタに乗じて獲得する。ヤーノのドローイングボードからはGPマシンの傑作「P2」のほか、アルファロメオの屋台骨を支えた高級実用車「6C」シリーズや、珠玉のレーシング・サラブレッド「8C」シリーズ、そしてグランプリマシンの歴史に永久に名を刻む名車「P3」が次々と産み出され、生産効率に左右されることなく、少数生産、超高価格販売政策のもとで理想の車づくりに邁進できたアルファロメオの名声は、世界に轟くことになる。
◆量産メーカーへ
1947年、戦前の高級スポーツカー「6C」シリーズの生産を再開。そしてカロッツェリア・トゥーリングの手になる美しいボディをまとった「6C2500」が、ヴィラ・デステのコンクール・デレガンスで優勝。世界一優美な車として賞賛された。これを記念して、このタイプは「6C2500 Villa D'Este(ヴィラ・デステ)」と呼ばれる。

1948年に、経営母体をIRI(イタリア産業復興公社)のまま「アルファロメオ・S.P.A.」に改組する。

1950年、超高級・高性能スポーツカーやGTを少数生産するという戦前までのスタイルを自ら捨て去り、新型の「1900」シリーズを引っさげてより確実な利益を見込める大衆量産車メーカーへと転身した。しかしながら大衆車であるはずの「1900」にも、新開発の4気筒DOHCエンジンをはじめ、レースカーで培った高度な技術を惜しみなく投入して開発されていた。

1954年、名車の誉れ高い「ジュリエッタ」シリーズがデビュー。最初にセダンボディではなく、スポーツモデルの「スプリント」が登場した。エンジンはアルファの伝統に則ったDOHCで、1300CCの小排気量ながら最高時速160キロという、当時としてはかなりの高性能車だった。「ジュリエッタ」は、ファミリーカーとしても成功を収める一方、その素性が買われ、多くのエントラントの手で数多のツーリングカーレースや公道レースに参戦、イギリスやドイツの小型車と激戦を繰り広げた。高性能な実用量産車という現在のアルファ車のイメージは、この頃に確立されたと言える。

1962年、この年、本拠地がミラノ郊外アレーゼへと移された。そして戦後アルファのイメージを決定づけた「ジュリア」シリーズがデビューする。この車もまた、オールアルミブロックの高性能DOHCエンジン、バルブの材質に熱伝導率の優れたソジウムの使用、5速ミッション、4輪ディスクブレーキなど当時としては先進的な機能の搭載によって、同クラスの車と比べても高い性能を誇った。G.ジゥジアーロがデザインした美しいボディのクーペモデルは、今なお戦後アルファの代表格として語られている。

「ジュリア」シリーズは、十分な新車開発投資ができないこともあり、排気量の増大によって排ガス規制も乗り切り長期にわたって生産された。特にダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」にも登場した派生モデルの「スパイダー」(デュエット)はクーペの生産終了後、完全に時代遅れのシャシー性能と動力性能となりながらも、アメリカでの根強い人気に支えられ、マイナーチェンジを繰り返し、フィアットの血を入れた新しいスパイダーモデルが発表されるまで生き延びた。
6Cヴィラ・デステ
6Cヴィラ・デステ
ジュリエッタ・スパイダー
ジュリエッタ・スパイダー
◆フィアットと共に
1986年、筆頭株主であるイタリア政府が株の売却を決定し、量産車メーカーとして覇を競ったフィアット社の傘下に収まることとなった。海外メーカーであるフォードへの売却も有力であったが、採算を度外視してフィアットが引き受けたのは、イタリアの誇りであるメーカーの海外流出を嫌ったジャンニ・アニェッリの政治力が働いたともいわれている。

そしてフィアットは自社製品とのプラットフォーム統合を進める一方、ブランドイメージの高揚に注力する。前記のFR世代最後のモデル「75」、ES30が惜しまれつつ表舞台から退場する一方、1990年代初頭に、カロッツェリア・ザガートとのコラボレーションで限定生産されたES30(SZ/RZ)は、スポーツカーとしての素性の良さで評判が高かったが、後輪駆動アルファの最後のあだ花となった。

フィアット買収直前に「ティーポ4」計画の一環として登場した「164」、買収後の「ティーポ3」計画から誕生し、DTM(ドイツツーリングカー選手権)やBTCC(イギリスツーリングカー選手権)等でその名を轟かせた「155」、その派生型として、独創的なフォルムに纏われて登場したパーソナルモデル「スパイダー/GTV」、155の下級モデルでいながら、各々3ドアハッチバックと5ドアハッチバックセダンという独自の車種展開で登場した「145」と「146」、164の後継車「166」が新時代のアルファロメオの名を担った。

これらのモデルは、性能ばかりでなく、これまで未消化だった品質と信頼性の確保にも重きが置かれ、アルファロメオの市場競争力を強めた。そして1997年、「156」が登場。伝統に立脚した鮮烈なスタイルと高性能が1998年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを初めてアルファロメオにもたらし、日本を含む世界の大半の市場で好評を得た。さらに2000年に発表された「145/146」の後継車「147」も2001年度カーオブザイヤーに選ばれた。

以後、156のクーペ仕様「GT」が登場、2005年には147がフェイスリフトを受け二代目になる。そのほかクーペ「ブレラ」とそのオープンモデル「スパイダー」、156の後継となる「159」が発売されている。

2006年9月のパリモーターショーにおいて、以前からコンセプトモデルとして提案されてきた8Cコンペティツィオーネが、全世界500台限定で発売と発表された。市販化について一切の事前発表がないまま突如としてデビューしたこのモデルは、450馬力を発生する4.7LのV型8気筒エンジンをフロントに搭載、駆動系は75以来となる後輪駆動方式を採用している。
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出典:Wikipedia